みえないしさわれないし その2

嗅覚の話の続きです。一度にまとめて書けって話なんですが。

 

強烈なニオイのひとつに「にんにく臭」がある。

冷静に考えると、にんにく及びネギ系統の食べ物のニオイのレンジというか、振れ幅は物凄い。食べる前と後で全く違う臭気を放っている。私は気分によっては にんにくを食べた後の自分が放つにんにく臭に殺意をおぼえる事があるので、不用意ににんにくばかり食っていると自決しかねない。人のにんにく臭は対象から距離をおけば解決するのでそこまで気にしていない。ただ自分の口は目と鼻の先、いや下、いや、中?ほぼゼロ距離なので要注意である。しかし、しかしだ。

にんにくは、めちゃくちゃうまい。おいしい。おいすぅぃい。
これはにんにくがこの世に登場するにあたって神から与えられた宿命、いや原罪、いや呪い?分からんけど「お前は食べる前、めちゃくちゃ良いにおいがして実際食ってみるとめちゃくちゃ旨いが口臭になった途端にペンチで舌をぶち抜きたくなるくらいクサい」という基本設定・脚本をもとに30時間ほどの研修を受けてからこの世に降臨せしめた感がある。フォルム的にも「オレこんな感じでいいのかな。。」といった、悩ましげな葛藤がうかがえるし、人間の鼻を思わせる形状はまさにニオイを司るものの象徴とも言える。ちなみにBoAが2018年に出したアルバムのタイトルは「私このままでいいのかな」です。

本当に何のひいきも無くジャッジすると、にんにくの「異常な旨さ」と「異常なクサさ」は50対50で拮抗している。快楽を得た分、失うものがあるのだ。すべては等価交換。厳しいようだがしっかりハッキリ、いつだって旨50臭50で向き合ってくれるにんにくは誠実そのものと言える。

だが、その奇跡的なバランス、守られた秩序を乱す言説がある。
それは「にんにくを食べると元気になる」というものだ。

 

騙されてるぞ、と私は思う。にんにくを食べて元気になる訳がないだろう。「にんにくを食べたら元気になる」という情報で元気になった気がしているだけじゃないのか。別に元気になってても良いけど下痢してるだろ、普通に。消化に悪いんだから。ほんとに、一旦冷静に観察してみてくれ、他の食事でも元気出るだろ。とろろの方が確実に元気出るぞ。

何が引っかかるって「食べると元気が出るので、ニオイは仕方ない」みたいな考え方でにんにくを食べようとする、その根性ですよね。や、べつにいいんですよ、別にいいんですけど「宣伝のために仕方なくTwitterやってます」みたいな、いやお前めっちゃTwitter見てるし好きだろ、みたいな。
せっかく旨50臭50でやってたのに、
自分を含め周りを納得させるための理屈30臭50旨20になっちゃうんですよね。旨い!とか好き!というプリミティブな感情が犠牲になってる気がするんですよ。気のせいかもしれないけど。
ネット、特にSNS主体の言語中心の世界になってからこの「見えない何かに弁解し続けている感」というか、単純に存在していてすいません、みたいな感じとか、怖いなぁと思いますね。好きをしっかり理屈で説明できる能力は確かに大事なんだけど、あまり説明しすぎるのも、それこそ「説明できない何か」を失っているような気がするんですよね。奇しくも「好きなことで生きていく」的なライフスタイルが認知され始めてから「好きの説明」が始まった感もあり。

「にんにくはめちゃくちゃ旨いから食います。後はめっちゃクサいっす。さーせん」みたいにシンプルに存在するのにもなかなか苦労する世の中ですね。

私は「そのままでいいよ!」と言いたい。BoAに。あとの人は知らん。