ふぉんとの気持ち

一般に、雨の日は「天気が悪い」と言うが、じっさい雨に悪気は無い。「善悪は人が勝手に決めているだけ」という話もわかる。ただそれでも雨が続けば気分は塞ぐし、晴れが続くよりも確実に気持ちをダウナーにさせると思う。俺は雨がけっこう好きなのだが、さすがに「雨は良い天気」とは言えないし、比較すれば断然晴れの方が好きだ。雨の良いところは、選択肢が狭くなって色々諦めがつきやすくなるのと、雨の日ならではの風景や匂いや音が楽しめるのと、あと洗濯物が乾かないからコインランドリーに行ける。

コインランドリーが好きなんだな、たぶん。雨がどうこうじゃなく。きっとそうだ。

洗濯は家で出来るのでいつも乾燥目的で行く。滞在時間は2、30分。時間を持て余すだろう、といつも文庫本を一冊持って行くが読んだ試しがない。回転しながら乾いていく衣服を眺めているだけで30分が終わる。

コインランドリーの独特の空気感、個人と公共のすきま。銭湯ほど近くはないが、役所ほど遠くもない、他人との距離感。無音ではないのに静かな時間がとても好きだ。

当然、行きつけのコインランドリーがある。家から近いコインランドリーは2軒あって、どちらも設備的に変わりはないのだが、少し遠い方に通っている。

俺はそこの店主に惚れている。

と言っても店主の姿を見た事はない。名前も、年齢も、性別も、どんな声をしているのかも知らない。

その店には「ご意見ノート」というものが常設されており、利用客は気づいた事や質問疑問クレームを自由に書き込む事ができる。その意見に店主は赤ボールペンで「〜またご利用ください。店主」と返答、対応してくれる。俺はいつからか回転する衣服よりそれを眺めるようになった。

最後に「直筆で」自分の意見を書いたのはいつだったろう。ネットやデバイスの発達で誰もが意見できる社会になったが、ご意見ノートを読む限り直筆でのやりとりはネット上のそれとは別次元である。

読めないくらい字が汚い人が多い。流麗な字を書けとは言わないし、普段から綺麗に書かなくてもいい。だが何か伝えたい事があるなら読める字で書けばいいのにと思う。そして何とか解読してみると往往にしてクレーム未満の自分勝手な主張が多い。自分が読めればいいような文字と自分だけが分かっている理屈は、同じ性質を持っている気がする。

読みやすい字の人と並べてみた時の説得力がまるで違う。このブログもTwitterもメールも、普段から綺麗なフォントで色んな事が補正されているんだなぁと気づく。

店主は端正な字を書く。小さい頃に見た「大人が書く字」のようなブレなさだ。読めない意見に返事は書かない。それはクールな態度なのか、はたまた本当に読めずに困っているのか定かではないが、はっきり書かれた意見には的確に答え迅速に対応しているので、やはり意識的に無視していると思う。

たまに受けを狙って「僕はこの店から出られるのでしょうか??」などと書く人が居るが、それもガン無視である。一番ダメージを与える方法を知ってるんじゃないかと思う。

一時期、絵やマンガを描く人が増えた時も「ご意見を頂く為のノートです。絵の描き込みはご遠慮ください」と一度だけ書き、あとは無視し続け「反応がないことの虚しさ」を見事に活用し、沈静化させた事もある。そして忘れられないのがマンガ騒動が沈静化してから「マンガ描くなんて迷惑ですよね!私も反対ですー!」と書かれた意見を完全無視していた事。俺はそこでグッときた。そこで馴れ合わないカッコ良さ。敵も味方もない。あるのは正義のみ。孤高の人である。

「トイレが使えない」という意見に対しては「現在トイレは故障中であり今後、修理予定もありません。近隣のコンビニ、スーパーをご利用ください。店主」と返答し、ご意見ノート全体を揺るがす横暴さに客離れが懸念されたが、実際ほとんどの人がそのコンビニ、スーパーで時間を潰しているので判断としては正しい。ネットなら炎上するかもしれないが、直筆は炎上しづらいようだ。「なんで直さないんだ!!」と感情的に反応する人も居たが、どこか文字に気迫が感じられない。直さなくても事足りている事実を文字が語っているように見えた。

 

「ご意見ノート」だからご意見以外のわがままは基本無視。自己主張に走っていないお礼や感想には「ありがとうございます」としっかり答える。問題解決は迅速で的確。とにかくブレない。クール&ドライ。余計なことをしない。

ある日「大学生活中よく利用させてもらいました。この度内定が決まり引っ越す事になりました。4年間ありがとうございました」と小さな丸文字で書いてあった。書かれたばかりのようで、まだ店主からの返事はなかった。俺が見る限り今までに無いタイプのご意見である。

その後何週も晴天が続き、コインランドリーに行くことはなかったが、どうしても店主の返事が気になったので近くを通るついでにご意見ノートを見に行った。すると

「おめでとうございます。あなた様の志が叶いますようお祈り申し上げます。ご利用ありがとうございました。店主」

と書かれており、仕事でも夢でもなく志(こころざし)とした所、クールさの中の温かな配慮に、俺の心はときめいた。

 

という訳で雨はけっこう好きである。