2・2・1

これといって信仰があるわけではないが、ふらっと神社に寄ったりする。

例年どおり5月ごろから気温が上昇し始めたが、この時期の太陽はまだ加減が分かっていないというか極端にギラギラして暑い日がある。そんなとき冷房に頼って極端に涼んだりしてしまうと今度は身体の方が「お前は加減というものを知れよな」とばかりに風邪を引いたりするので、真夏が来るまでは木陰で風に吹かれるくらいがたぶんちょうどいい。そしてここ東京で木陰と風を探すと公園か神社に絞られてくる。こと神社における、自然保護とか緑化といった名目以外で緑が残っている日本の在りようというのは素敵だと思う。

 

参拝。

「パワースポットは自宅」「未来は予想外」だと信じているので特にお願い事はしない。でも作法はちゃんとしたい。手水舎で清めるとか二拝二拍手一拝とかググって調べて、さも昔から染み付いてるかのように振る舞う。別に誰もいないのに。

手を合わせ目を閉じながら「わたしを見てつかあさい、このザマですよ」などと想っている事はゴッドオンリーノウズである。

そのとき、右腕に気配を感じた。薄く目を開けると一匹の蚊がとまっている。

合掌をしずかに解き、始末しようとしたがここでひとつの疑問が持ち上がった。

 

(これは三拍目にならないだろうか?)

 

現在俺は二拝、二拍手をしている段階である。しかしここで蚊を仕留めた場合、その音は神様サイドにとって"一拍"と受け取られやしないだろうか。詳しい事は知らないがこの2-2-1の流れには何かしら意味が込められているはずであり、それを俺が2-3-1としたときに「変拍子でかっこいいね」と言うほど日本の神様は音楽フリークではないと考える。だいいち、古来より血を穢れ(けがれ)としてきたこの境内で自分の血液を見せびらかす行為は一発レッドカードではないのか。

蚊の吸血は続いている。仮に、三拍目を避けるため2-2-1最後の一拝、それも深いお辞儀である、をしようものなら蚊はその動きに驚いて逃げてしまう事だろう。それだけは何を以ってしても避けなければならない。俺は拳を握った。そして思い出した。

「力を入れると蚊は針が抜けず逃げられなくなる」と。

右腕に渾身の力を込め、深く一礼し横目で確認すると、はたしてまだ蚊は逃げていない。うまくいった、、、!

あとはこのまま全力で拳を握りつつ鳥居をくぐればそこでタッチダウンだ。定められたルールを守り、俺は俺の正義を貫いてこの戦いに勝利してみせる。鳥居の外で、決めてやる。そんな決意の中振り返ると外国人観光客がカメラを構えて立っていたのでびっくりしてその拍子に蚊が逃げた。

 

力みから来る熱とかゆみだけが残った。