としか言いようがない

最近よく訊かれる事について答えます。

・元気ですか?

はい、とっても元気です。風邪もひかず夏バテもせず、毎日あちこち駆け回っております。少しマスク日焼けしました。
切らしていたCD発売宣伝ポスターが届いたので、またポスター行脚します。

・何か嫌な事でもありましたか?

良い事も嫌な事も普通にあります。

 

・バンドのお二人との関係は良好ですか?

良好です。Nathanはコロナ禍に於いて、バンドの関係性が良くなったケースだと思います。ライブも慎重に判断して出演を決めています。ぜひ観に来てください。配信もあります。

 

Twitterでやっていた、ご飯のレビューは辞めてしまったんですか?

レビューのツイートがどのくらい見られているかを解析した際「あまり反応がない割にたくさんの人が見ている」という結果だったんですが、自分発信の作品やギャグならともかく、「お店や商品の良さを紹介する目的」の投稿に低い数値の反応が載っているというのは「良さ」を損ねているのと同じかもしれない、なんか悪いな、思って辞めました。Twitter特有の雰囲気(いいねと思ってるけどいいねしない)など、いろんな要因があるのは分かっていますが、結果的には自分の力量不足かなと感じています。もちろんおいしいものは常に求めているし基礎代謝は狂ったままなので、ネタは溜まっています。情報としては良いものだと自負しているのでいつか違う形でまとめられたらいいですね。

 

・ワクチン接種はしましたか?

まだしていません。私は様子見していて機会を逃している格好なのですが、接種が始まった頃に言っていた「iPhoneの最新機種が出るたびに買い換える感じでワクチン打っていくのかなぁ」とふざけ半分で喩えた状況に、実際なっているような気がします。
様子見している内に、(現行のiPhone買うより3ヶ月後の新作を待つか…?)という葛藤が生まれて、悶々としている状態です。アジア人の端くれとしてはデルタ株にしっかり対応している機種が欲しいですよね。遺伝子や体質、基礎疾患ごとに欲しい機能を実装したものを自分で選べるようになるのがベストですし、いずれそうなってほしい。いや、でもメールと電話とネットという基本的な機能に対応していれば十分なのでは…じゃあ今ので全然よくないか?むむむでもせっかくデビューするなら新しい方が…あ、高齢者優先だから最新は無理か…しかしある程度レビューは参考にしたいな……
深刻なケースが身の回りで出始めた上に色々と腹の立つニュースも多いので、このくらいの軽口をへらへらと叩いてないとやってられません。
軽口は止めて正直に言うと、まずは現在の(初期型、としますか)ワクチンをいち早く接種した人たちの抗体の持続期間が知りたいですね。健康な30代独身の私よりもワクチンを必要としている4、50代の層に行き渡ってないので、データが取れないじゃないですか。で2、30代に行き渡る頃には最初期に接種した層の抗体の持続期間が怪しくなってくる。
仮に、どの企業のワクチンも100%安全であるとしても、それをどう運用するかで初めて「効果」があらわれるので、反ワクチンとかそういうのは論外として、必要な人に行き渡った後のデータが欲しいですよね。「自由意志で打たなかったのか、予約が取れず打てなかったのか」が混在して病床をひっ迫している現状は非常によろしくないと思っています。「いつまでに接種率〇〇達成出来れば自粛解除」といった目標や目安もなく、「大切な人を守るため」といったフワッとした概念だけではそろそろ限界ですよね。
あと、オリンピックという「カネと事情と都合と配慮の塊」のような、バイアス掛かりまくりの祭典が過ぎた後の政府や民間の動向を見て判断しよう、と私は決めていたので今は「こないだと言ってる事違くないか」の情報を洗っている最中です。ワクチン打つなら今後ずっと打つ事になるので、このくらい慎重でもよくない?というスタンスです。打った人にも打っていない人にも、特にマイナスの感情はありません。「マイホーム、持ち家か借家か」くらい、どちらに対してもフラットです。でも年末へ向けて、寒くなるまでには何とかしたいですね。

 

Twitterをほとんど更新しなくなったのは何故ですか?

ていうかこれですよね。あんだけ使いまくってたんだから訊かれますよね。前半の質問も要は「元気ですか?(Twitter更新してないけど嫌な事あった?)」ですよね。ほんとに、病んでるとかじゃないんですよ。
答えとしては「言葉で説明することができない」なんですが、出来るだけ頑張ってみます。
1ヶ月前くらい前に夜道を歩いていたら突然「あっ」てなったんです。「自分が考えている、思っている事を言葉にする」ことの価値基準というか向き合い方みたいなものがガラッと変わってしまった。いわゆる「沈黙は金」みたいな話よりもっと、ずっと、絶対的なレベルで、とつぜん変わってしまいました。

個人的に「沈黙は金」ってのはどことなく打算が含まれてる言葉だと思います。黙ってた方が得だとか、賢いとか。でも今回のケースはそういうのが一切無くて、自分の意識や思考よりもっと先の部分で反応した感じというか。自分でも変な感じです。普通にTwitter楽しく使ってたし、もともと言葉であれこれするのは好きなので。いわゆるSNS疲れみたいな事でもないし。
揚げ物がいきなり食べられなくなった、みたいな感じですかね、いや喩えが下手すぎるな。いよいよ花粉症になった、みたいな。違う気がする。「長年考え続けていた難問が解けた」感もあるんですよね。なんとなく、悪い事じゃ無い気がするんですよ。


最近知った知識なんですけど、アニメーション制作で、派手なアクション部分における作画は、動きの途中に現実にはあり得ない極端に乱れた絵をいれないと「本当っぽい動き」に見えないそうです。まぁアニメそのものがリアルでは無いだろという指摘は置いといて、そういう意識的な脚色、見せ方の工夫が足りないものは仮にすべて本当の絵(事実)を並べても「嘘っぽい、いびつなもの」になってしまうわけです。
つまり私たちは虚構の見せ方によって対象の本当っぽさ、リアリティを推し量る生き物、いや、別にいちいち推し量っていないにしても、そういう虚構の組み立て方が優れているものに感動したり、安心したり、信頼したりする側面がある。

そもそも言葉にする、というのは誰もが必ず行う創作活動、嘘の取り扱いだと私は思っています。

自分が思ってる、考えている事を本当にそのまま言葉にしたのに伝わらない、もしくは大きな誤解を与えてしまった、という経験は誰にでもあるでしょう。感情のまま書きなぐった深夜の長文メールは今すぐにでも法で規制すべきですよね。政府はいったい何をやっているんでしょうか。感情のまま書きなぐった深夜の長文メール規制しろデモ!!推敲!推敲!国会前集合!!ラブレターは朝書け!深夜はやめとけ!!無修正規制しろ!!おーえす!おーえす!!

 

で、

今までだったらここで「つまり何を言いたいのかというと」と総括し、自己分析してきた人生なのですが、もうそういう事にあまり興味が無い、というか「言葉にすることができない」んですよね。この1ヶ月結構頑張ったんですが、どうやってもできない。「いや、そういう流れだったらつまり君はこういう事が言いたいんでしょう?」と予想される突っ込み全てに頷けない自信がある(なんてひどい文章だ)。

 

だから事務的なやりとりとか、何かアナウンスする目的以外の「言葉の扱い方」がガラッと変わってしまった、としか言いようがないんですよね。やっかいな弊害としては、メールの返事ですね。LINEとかのスピード感ある短文のやりとりと、長文はわりと平気なんですけど、中くらいのボリュームの事務的でない内容の返事とか、結構ぼーっとしちゃうというか、困ってます。病気か?

そのかわりにこういう、冗長で散漫で、何か言っているようでほぼ何も言ってない、炭酸水の水割りのような文章だったらいけるかなー、と思って書いてみたら意外といけたのでTwitterがアレなぶん、また気が向いたら書きますね。でも炭酸水の水割りなんていったいどこの誰が欲し、、やめましょう、こんな悲しい話は。

 

以上、本当っぽく伝わってるといいのですが。